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tomato nihilism

Twitter : @tomatonihilism

【PCゲーム】POSTAL2 : ゲームとリアルの境目

Go Postal.

本来ありふれていたはずの ”Postal” という言葉は、

米国でのある郵便局員の凶行をきっかけに「キレる」を示すスラングの一部となった。

犯行そのものに加えて、犯行動機にいたっても

まっとうな人間であればはっきり言って理解しようにも理解は出来ない、

文字通りに気の狂った行いであるのだから、あるいはやむなしなのかもしれないが。

米国の郵政公社勤めの方々には、まったくもって気の毒な話である。

 

さて、その郵政公社とはまったく関係なく、

ただの殺人鬼がただの一般市民……おや、武装しているのも居るぞ……?を

ひたすら淡々と無差別に殺しまくるというそんなトンデモなゲームである

「POSTAL」がリリースされたのは1997年のこと。

俯瞰視点の2Dシューティングゲーム、でゲーム性の説明は付くのだが、

何より敵はただの人間で、ダメージを負えば血を流すし苦痛の声もあげ、

瀕死に至れば這いつくばってでも逃げようとし、それに主人公がトドメを刺せるなど

ゲームとしてはそんなに面白くないのに残虐な描写に気合入れすぎでしょと

ツッコミを入れたくなるほどうけあいの内容である。

ステージ開始時に映し出されるメッセージはまさに狂人のそれであり、

主人公は最終的には精神病院に叩き込まれ、その中でも異常性を示すこととなる。

救いはないんですか?

 

さて米国郵政公社はタイトルを変えろとブチギレ、一部の国では発禁措置まで採られ、

日本では秋葉原を舞台にしたステージが追加されたパッケージが発売されるなど、

様々な意味で波紋を呼んだこのタイトルは、

時を経て意外な方針転換を図ると共にそのゲーム性を飛躍的に向上させて、

今でもなお十二分に楽しめるゲームとなった、そんな続編に繋がることとなる。

 

ミルクを買いに行こう

サイコパス共の念願の続編としてリリースされたPOSTAL2だが、

前作であるPOSTALとはまったくの別ゲーに化けている。

俯瞰視点の2Dシューティングから一転して一人称視点のいわゆるFPSとなり

ちんまいキャラクターを操作して付けにくい狙いで敵を撃つ必要もなくなった。

それだけでもゲーム性ははるかに向上していると言えるのだが、

大きな変化はそれだけではない。

何と今作は殺人ではなく「おつかい」がゲームの軸なのだ。

 

トレーラーハウスでの決して裕福ではない生活を送る主人公ポスタル・デュード。

共に暮らす妻には頭が上がらず、彼女の「おつかい」をこなさなければ

家に、あるいはこの世に居られなくなるかもしれない。

今日の生活のためにも、デュードはそれをこなさなければならないのだ。

というのが大体の背景であるのだが、

もちろんすんなりとおつかいをこなせないようになっているのが

このゲームの特色であり面白みにも繋がっているのである。

 

「おつかい」なんて、もちろん面倒事にも巻き込まれず

平和的に解決出来ればそれで済む話なのは間違いではないのだが、

これがゲームである以上は、そうはさせてもらえないのである。

あるいは長い行列に並ぶだなんてことなら、大したことじゃないかもしれないが、

例えばおつかいに立ち寄った先で、テロリストに出くわして

理由もなく銃を向けられたらどうするだろうか?逃げ回るだろうか?

ところで、仮に自分の手にも銃があったら、どうするだろうか?

 

もちろん現実のおつかいでは、テロリストに出くわすことも、

銃を向けられることも、ましてや銃を持っていることもないだろう。

でもこれはゲームであり、全部なんらおかしくもないことなのである。

「暴力ゲーム反対」と訴えながら、ゲーム会社の社員を銃殺しようとする奴が居る。

「森林保護のために本を焼け」と叫びながら、図書館ごと焼く奴が居る。

そんな奴はゲームの中にしか居ないだろう。断言するにはちょっと足りないけど。

ゲームなんですよこれは。何で現実と同じように解決しちゃおうとしてるんですか。

ましてやこのゲーム、日を追えば追うごとに他人の恨みを否が応でも買い、

街中で出くわしただけで銃で打たれるなんてこともしばしな設計である。

理不尽な暴力に晒されるわけですよ?理不尽には理不尽をぶつけるしかないですよね?

 

これはゲームだし楽しい遊びだ

はっきりと断言するけれど、このゲームにおいては

「暴力に訴えたほうが早い」ケースのほうがずっと多いのである。

なおかつストレスフリーでもあり、結果的にゲームとして楽しむ事ができるだろう。

もちろん平和的な解決を望むことも不可能ではないけれど、

一般的に言えば縛りプレイに該当してしまう。

むしろ「平和的に解決しよう」と考えてしまうことそのものが

ゲームと現実との境目を認識できていない証明になってしまうのだ。

銃で解決出来る問題があるなら銃で解決してしまっていいのがゲームの世界であって、

現実に即したそれが義務であるというのならそれは既にゲームではないのではないか。

そしてその境目を認識できるようになると、このゲームは途端に自由度を増す。

 

例えば「銀行で小切手を換金する」だなんておつかいが存在するのだが、

実はこれ、小切手を持っていなくても達成できてしまう。

具体的には銀行強盗をすればよい。

あろうことか銀行の金庫付近に強盗しろと言わんばかりの隠し通路がある上に、

銀行内に集結した警察を見事に巻ける位置に出口があるというオマケ付きである。

小切手を用意して行列に並んで待ち時間を作ってはした金を作るよりも

ゲームの解法としてはずっとスマートで楽しいやり方だと言えるだろう。

他にも、教会で懺悔をしろというおつかいは神父を殺せば達成できてしまうし、

その目的のために建物外部から爆発物を神父の座標目がけて投げ込んで

壁越しの爆風で神父を殺害するだなんていうゲームならではの攻略法だって存在する。

 

もちろんゲームの内部でも好き放題させないように警察が存在するのだが、

実際のところやり過ごす方法はいくらでも存在するのもまた事実で、

しかしながら常日頃から相手にしていると面倒だという点で

「うまいことバレないように悪事を働こう」と考えさせてくれる要素となっている。

ゲームであるということを崩さない、なかなかナイスな存在でもある。

 

これはゲームなんだ、という認識がよりプレイアビリティを向上させ、

発想の自由さと楽しさを生むのは、いくら残虐な描写が目立つとは言えども、

実際素晴らしい設計じゃないかな、とは僕は思うのだ。

むしろ過剰に見える残虐描写は、あるいはやはり境目を認識させる手段じゃないかと。

ゲーム内の表現とは言えゴアであるのは、

忌避すべき行いであることをちゃんと認識させるためなんじゃないかなと。

そう、これはゲームなんだ。

 

ちなみに不殺を誓ってみたところで

残念ながらデュードには殺人鬼の烙印が押されることにもなるので

悲しいかな世の理不尽を体感させられるというのはまあゲームならではというところ。

 

POSTAL2を起動すると出て来るメッセージの大体の内容は、こんな感じらしい。

「さすがに君らゲームと現実の区別は付くよね?」

そうだ、ゲームはゲームであるからこそ、面白い。